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東京地方裁判所 平成4年(ワ)11852号 判決 1996年3月28日

原告

乙山花子

右訴訟代理人弁護士

岡村親宜

望月浩一郎

内藤功

被告

株式会社F保安警備

右代表者代表取締役

甲野太郎

被告

甲野太郎

右両名訴訟代理人弁護士

柚木要

柚木司

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金一〇六六万一七七一円及びこれに対する平成二年五月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは、各自、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成二年五月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(三六六一万〇〇四三円の内金請求)。

二  訴訟費用の被告らの負担及び仮執行宣言

第二  事案の概要

一  本件は、警備業務に従事中死亡した被災者の遺族が、使用者及びその代表者に対し、雇用契約上の安全保護義務違反等を理由として、損害賠償を請求した事案である。

二  争いのない事実

1  当事者等

(一) 被告株式会社F保安警備(以下「被告会社」という。)は、警備請負業等を目的として、昭和四三年一二月三日設立された会社であり(資本金一〇〇〇万円、従業員数約五〇名)、被告甲野太郎(以下「被告甲野」という。)は、被告会社の設立当初からの代表取締役である。

(二)(1) 原告は、訴外亡A(以下「A」という。)の子であり、Aの本件損害賠償請求権を相続した。

(2) A(大正一〇年一〇月一二日生)は、昭和五二年三月営業職として勤務していた蛇の目ミシンを退職し、同年六月二〇日被告会社に警備員として採用され、東京都板橋区坂下一丁目<番地略>所在の訴外誠志会病院(以下「本件病院」という。)において、夜間及び休日の警備業務に従事していた。

Aは、平成二年四月二三日午前一時一五分宿直室で発見された際、脳梗塞を発症して(以下「本件発症」という。)倒れており、意識を回復しないまま、同年五月九日午後六時五八分本件病院において死亡した(当時六八歳)。

2  Aの勤務状況等

(一) 被告会社には、次の内容の就業規則の定めがあり、その旨中央労働基準監督署に届けられている。

(1) 労働時間及び休憩時間

日勤 午前八時から午後五時まで(午後〇時から午後一時まで一時間休憩)

夜勤 午後六時から翌日午前八時まで(午後一〇時から午後一一時までと、午前六時から午前七時までの各一時間休憩、午前〇時から四時まで四時間仮眠)

隔日勤務 午前一〇時から翌日午前一〇時まで(午後〇時から午後一時までと、午後五時から午後六時まで各一時間、午後八時、午後一一時、午前七時、午前九時に合わせて二時間の休憩、午前〇時から午前四時まで四時間仮眠)

(2) 休日  一週に一日または四週に四日

(二) Aの勤務形態

平日 午後六時から翌日午前八時まで(拘束一四時間)

休前日及び休日 午後六時から休日全日をはさみ、休日の翌日の午前八時まで連続勤務(拘束三八時間)

(三) Aの勤務内容

巡回時 毎時(午前三時から午前五時までを除く。)に本件病院内、本件病院に隣接する看護婦寮及びその周辺を巡回

巡回時以外 本件病院救急出入口脇の宿直室にて出入者の監視

(四) Aは、被告会社就職時(当時五五歳)、身長162.0センチメートル、体重55.0キログラム、血圧が最高一七〇mmHg、最低一一四mmHg(以下、単に、一七〇/一一四のように表す。)であった。

Aには、本件発症前の平成二年三月二四日から同年四月二二日まで四週間以上も休日がなく、また、同月二一日(土曜日)午後五時三〇分から同月二三日(月曜日)午前八時までの三八時間三〇分連続して、警備業務に従事していた。

被告会社では、従業員の定期健康診断を実施していなかった。

三  本件の争点

本件の主要な争点は、Aの業務と本件発症との間の相当因果関係(業務起因性)、被告会社の安全保護義務違反等の有無である。

1  被告らの責任

(一) 原告の主張

(1) 被告会社

被告会社は、Aに高血圧症の基礎疾患があるにもかからず、採用以来一度も健康診断を実施しなかったほか、労働基準法及び就業規則に定める労働時間及び休日の保障を行わず、勤務軽減等の措置をとらないまま、本件発症前の四週間に、拘束時間にして四四四時間、労働時間にして三六〇時間という異常な長時間労働を課したことにより、Aをして、本件を発症させた。

あ 債務不履行責任

被告会社は、雇用契約上の信義則に基づき、使用者として労働者の不注意も予測してその生命、身体、健康の安全を保護し(安全保護義務)、または、雇用契約上の信義則に基づく付随義務として、労働者の生命、身体、健康を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い、その内容として、労働時間、休憩時間等の適正な労働条件を確保し、健康状態を管理したうえ、健康障害があることを発見した場合には、勤務内容の変更等適正な労働配置をなす義務を負うべきところ、右義務に違反した結果、Aをして本件を発症させたものであるから、原告に対し、民法四一五条に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

い 不法行為責任

ア 被告会社は、使用者として労働者に対し、前述「あ」と同様の注意義務を負うべきところ、右義務に違反した結果、Aをして、本件を発症させたものであるから、原告に対し、民法七〇九条に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

イ 被告甲野または被告会社従業員で労務担当者である訴外Bは、従業員に対し、前記「あ」と同様の注意義務を負うべきところ、右両名らは、右義務に違反した結果、Aをして、本件を発症させたものであるから、原告に対し、民法七〇九条に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

被告会社は、被告甲野及び訴外Bの使用者であり、右不法行為は、被告会社の業務の執行につき生じたものであるから、被告会社は、原告に対し、民法七一五条一項に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

(2) 被告甲野

あ 取締役の第三者に対する責任

被告甲野は、被告会社の取締役であり、従業員に対し、前述(1)「あ」と同様の注意義務を負うべきところ、右義務に違反した結果、Aをして、本件を発症させたものであり、被告甲野にはその職務を行うにつき悪意または重過失があるから、原告に対し、商法二六六条の三に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

い 不法行為責任

ア 被告甲野は、被告会社唯一の常勤取締役であり、従業員の労働条件一切を指示監督していたものであり、従業員に対し、前記(1)「あ」と同様の注意義務を負うべきところ、右義務に違反した結果、Aをして、本件を発症させたものであるから、原告に対し、民法七〇九条に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

イ 被告甲野は、被告会社唯一の常勤取締役であり、使用者である被告会社に代わり、労務担当者である訴外Bを監督していたものであるから、民法七一五条二項に基づき、Aの死亡につき損害賠償責任がある。

(二) 被告らの認否及び反論

(1) Aの勤務内容等について

Aの勤務内容のうち、指定時間における巡回については、本件病院が広くないこともあって、数分程度で終了する簡単な作業であり、それほど時間を要しないものである上に、午前二時過ぎから午前六時まで仮眠時間があり、本件病院は他の警備現場と比較しても負担の少ない職場である。なお、被告会社と本件病院との間の口頭の約定では、巡回は、平日勤務の場合は午後八時、午後一一時、午前二時、午前六時の四回、休日の場合は午前一〇時、午後〇時、午後三時、午後六時、午後八時、午後一一時、午前二時、午前六時に行うものとされていた。したがって、右時間以外の巡回は、被告会社と本件病院との間の約定に基づくものではない。

また、出入者の監視についても、夜間のため、出入者が少なく、その大半は待機または休息時間である。

被告会社は、Aに出勤を強制したことはなく、また、従業員の休暇等に備えて代替要員も確保している。しかし、一般に警備員は休むことを嫌う者が多い傾向がみられ、Aも本件病院の勤務が楽なことから他の警備員と交代させられることを恐れ、休むことを嫌がっていたのであり、このため、被告会社とAとの間においては、就業規則の定めにかかわらず、休日はAから申し出があるときに与えるものとされていた。

(2) Aの業務と本件発症との間の相当因果関係について

Aは、本件発症当時、六八歳と高齢であったことに加えて、基礎疾患または既存疾病として高血圧、冠不全、糖尿病に罹患しており、通常人と比較してもともと脳梗塞を自然発症させやすい身体的素因があった。

そして、基礎疾患または既存疾病を有する者が、それらの自然経過を越えて業務上の特別の過重負荷により脳梗塞等の脳血管疾患を発症したと認められるためには、労働省制定の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務上外認定基準」(昭和六二年一〇月改定)に従い、①業務に関連して異常な出来事に遭遇し、または日常業務に比較して特に過重な業務に就労した等、業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められ、かつ、②過重負荷を受けてから症状出現までの時間的経過が医学上妥当なものであることが要求されるところ、Aは、被告会社に勤務して以来、本件病院の警備業務を一三年間担当して慣れており、脳梗塞を発症する直前の数週間の業務もそれまでと同様の勤務状態が継続していただけであって、その間、ストレスを増幅させるような急激な労働の加重はなかった。

他方、Aは、被告会社に就職した当初から高血圧が続いていたのにかかわらず、薬の服用を正しく行わず、バランスを欠いた食事を続ける等自らの健康管理を怠っていたものであるから、Aの本件発症の原因は、基礎疾患または既存疾病である高血圧、動脈硬化、加齢等によるものと見るべきであり、Aの業務と本件発症との間に相当因果関係は認められない。

なお、被告会社では自ら健康診断を実施していないが、被告会社は、従業員に対し行政機関の行う健康診断を受診するよう勧めていたほか、Aの勤務先は病院であったから、本人が希望すればいつでも健康診断等を受けられる状況にあった。

2  損害額

(一) 原告の主張

(1) 逸失利益 八三一万〇〇四三円

Aは、死亡前三か月間に合計五〇万五二三〇円の給与を得ており、本件事故に遭わなければ、二〇二万〇九二〇円の年収を得られたことから、右金額を基礎とし、就労可能年数を平成元年簡易生命表による六八歳男子の平均余命14.04年の二分の一に当たる七年間とし、生活費の控除を三〇パーセントとして、新ホフマン方式により算定した。

(2) 慰謝料 二五〇〇万〇〇〇〇円

Aの死亡により原告が被った精神的苦痛は、右金額を下らない。

(3) 弁護士費用三三〇万〇〇〇〇円

(二) 被告らの認否及び反論

Aの死亡前三か月間の給与額については認めるが、損害額については争う。

第三  争点に対する判断

一  Aの従事していた業務の状況等について

1  <証拠省略>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 警備会社は、中高年齢者を積極的に採用しているが、被告会社についても警備員(本件発症当時約三〇名)のほとんどは中高年齢者であり、一般企業を中途退職し、または定年退職した者を多く採用しており、被告会社の警備員の年齢層(平成五年九月九日現在)は、二〇代、三〇代が各三名ずついるほかはみな四〇代以上であり、六〇代が一番多く、三〇名前後おり、七〇代も三、四名いた。

被告会社は、昭和五二年六月三〇日Aを採用し、本件病院の夜間及び休日の警備業務に従事させることにしたが、休暇についてはAの希望により、Aから申し出があったときに随時与えることにした。被告会社においては、右のような休暇の定め方は他の警備員との間でも多くなされていた。

被告甲野は、Aの採用に当たり、Aが被告会社に提出した健康診断書(甲一九)を見た際、Aが特に高血圧症であるとの認識は持たなかったが、現在、Aの血圧測定値を見ていれば、夜間の警備員として採用していないとの認識である。

(二) Aが本件発症前一か月の間に従事していた本件病院の警備業務の内容は、概ね別紙のとおりであり、Aには平成二年三月二四日から同年四月二三日までの間に休んだ日はなく、また、同月二一日(土)午後六時から本件発症により発見された同月二三日午前一時一五分まで連続して警備業務に就いていた。

(三) Aの就業場所である本件病院建物は、地上四階、地下一階であり、総床面積は三〇〇〇平方メートル余りであり、なお、これとは別に、四階の上に男子職員寮が設けられている。

本件病院は、内科、外科の救急病院に指定されており、夜間は医師一名、看護婦四名、レントゲン技師一名、事務職員一名が当直勤務を行い、被告会社から派遣された警備員は、巡回時間を除き、本件病院一階夜間出入口脇の宿直室(約六畳の床張りで、室内にはテレビ、警備員用の机、椅子のほか、ベッドが二台あり、事務職員用のベッド付近には、緊急連絡用の電話機が設置されているが、仮眠室は特に設けられていない。)において人の出入りを監視し、午後一〇時には正面玄関を施錠した後は、事務職員と警備員が同室で待機することになっていたが、事務職員が実際に宿直室に行くのは午後一一時から翌日の午前一時の間となることが多かった。

Aは、監視の際は机に向かっており、事務職員が宿直室に来るまでに先に休んでいることはなかった。

本件病院の巡回は、通常、一階からエレベーターで四階に上がり、階段を使って屋上に行き、同所を一回りした後、四階から地下一階まで順次各階を回り、廊下を歩行し、異常の有無を点検しながら、火の元や施錠の確認をして裏の駐車場から焼却炉を見た後、看護婦寮の周囲を回り、宿直室に戻る順路になっていた。

Aの一回の巡回に要する時間は、通常約三〇分、丁寧なときは約一時間であった(なお、被告甲野は、巡回所要時間は五分ないし七分程度で済むと述べるが、Aと数回宿直をともにし、自ら巡回をしたこともある証人藁谷によれば、Aは通常の巡回のときは、二、三十分、午後一〇時と午前二時には一時間程度かけていたと述べていることに照らし、右被告甲野の供述は採用できない。もっとも、証人藁谷は、Aは午前二時の巡回を早めに開始し、午前二時過ぎに宿直室に戻って来ることが多く、Aが毎時ごとに正確に行っていたかどうかはわからないと述べている。)。

被告会社と本件病院との間で、警備員の巡回時間、仮眠時間についての文書による取決めはされていなかったが、口頭の了解として、巡回時間は、平日が午後八時、午後一一時、午前二時、午前六時、休日が午前一〇時、午後〇時、午後三時、午後六時、午後八時、午後一一時、午前二時、午前六時とされており、仮眠時間は、午前二時の巡回終了後、午前六時の巡回開始までとなっていた。

Aは、右以外の時間帯にも巡回をしており、被告甲野がその件でAと話をしたこともあるが、Aは特に理由を述べず、被告甲野もそれ以後ことさら注意もせず、本人任せにしていた。

仮眠時間帯の急患等の対応は事務職員が行うことになっていたが、それ以外にも夜間の人の出入りがあり、甲二九(藁谷作成の回答書)には、仮眠時間帯の急患は一日一、二名であり、夜間の出入りは、一日一〇名程度であるとの記載がある一方、甲四九(調査報告書)によれば、平成二年四月九日から同月二三日までの一四日間の急患等を含めた夜間来院者は三二名であり、そのうち午前二時以降の来院者は五名であった(夜間来院者の一日平均2.2名、午前二時以降は一日平均0.35名)。

(四) Aは、本件病院へは自転車、バスを乗り継ぎ、約一時間二〇分掛けて通勤しており、午前一〇時ころ帰宅して、午後〇時ころから午後二時ころまで睡眠をとった後、午後三時ころには出勤していた。

Aは、給料を受取りに来る等特段の用事がなければ、被告会社に出社することはなく、もっぱら本件病院と自宅とを往復していた。

そのため、被告甲野は、Aと顔を合わせる機会も少なく、健康管理はAに任せていた。被告会社に就職後、被告会社に対し、Aから体調が悪いという申し出はなく、Aからの休暇の申し出は、ほとんど母の体調不良が原因のようであった。

(五) 被告会社の警備員の給与は日給月給で支給されており、一か月間休まず出勤した場合でも月十五、六万円程度(交通費込みでも一七万円程度)にしかならず、Aの場合、二四時間勤務で一日八六〇〇円、一四時間勤務で一日四四〇〇円の単価であり、被告甲野は、当時の給与水準としても安かったように思うと述べている。

被告会社の警備員でこれまで有給休暇を取得した者はなかったが、被告会社の中でAが特に休日の取り方が少ないというわけではなかった。

(六) Aは、飲酒はしなかったが、喫煙は一日一〇本程度していた。Aの近親者に脳血管障害をもった者はいなかった。

Aは、本件病院から職員用の食堂を利用して食事をとるよう勧められていたが、職員ではないからとの理由でこれを断り、出勤途中に購入した弁当やインスタントラーメン等を宿直室で電気コンロ等を用いて食べていた。

(七) Aは、昭和六三年四月一二日本件病院の勧めにより血圧測定を受け、冠不全、高血圧症と診断され、それ以後、二週間分の降圧剤の投与を受けて服用していたが、投薬の間隔が空くときでも、せいぜい一、二週間位であり、また、定期健康診断は受けていなかった。

Aの最高血圧は、内服を続けている場合は安定しているが、服用しないと一五〇ないし一六〇となることがあった。

Aの本件病院におけるその後の血圧測定値は、次のとおりである。

昭和六三年

四月一二日 一六四/八六

五月 二日 一三〇/八〇

六月一一日 一四二/七六

七月 九日 一三〇/八〇

七月二四日 一六〇/六〇ないし一三八/八〇

一〇月二九日 一四八/七六

一一月一二日 一四二/八〇

一二月一〇日 一五四/八六

昭和六四年

一月 七日 一三五/七〇

平成元年

二月 四日 一五〇/八〇

三月 四日 一四〇/七〇

七月 二日 一五〇/八〇

九月 三日 一四八/七〇

平成二年

二月一〇日 一五〇/七〇

二月二五日 一七四/(不明)

三月一七日 一三五/六八

Aは、自宅ではあまり話をせず、亡くなる半年位前からは本件病院内においても当直の事務職員らに対し、ほとんど話をしなくなっていた。

(八) Aは、本件病院の夜間警備業務に従事中の平成二年四月二三日午前一時一五分、当直の事務職員により宿直室で発見され、大量の嘔吐、尿失禁の状態で倒れており、直ちに本件病院内で処置を受けたが、血圧二〇〇/一二〇で応答なく、眼振+、瞳孔左が大、CTスキャンにおいて脳内出血一、脳梗塞を疑う、脳幹部の脳梗塞で遷延昏睡となり、両下肢は進展位、両上肢は屈曲位で応答不能であり、肺炎を併発し、発熱を繰り返し、出血性胃炎を伴い、白血球増多が続き、全身に浮腫が強くなり、循環障害、乏尿に陥り、意識を回復しないまま、同年五月九日午後六時五八分本件病院において死亡した。

2  右の事実によると、Aの平成二年三月二六日から同年四月二二日までの勤務状況は、概ね、拘束時間が次の上段のとおりとなり、労働時間が下段のとおりとなる。

① 三月二六日(月) 一四時間  一〇時間

② 三月二七日(火) 一四時間  一〇時間

③ 三月二八日(水) 一四時間  一〇時間

④ 三月二九日(木) 一四時間  一〇時間

⑤ 三月三〇日(金) 一四時間  一〇時間

⑥ 三月三一日(土) 一四時間  一〇時間

⑦ 四月 一日(日) 二四時間  二〇時間

⑧ 四月 二日(月) 一四時間  一〇時間

⑨ 四月 三日(火) 一四時間  一〇時間

⑩ 四月 四日(水) 一四時間  一〇時間

⑪ 四月 五日(木) 一四時間  一〇時間

⑫ 四月 六日(金) 一四時間 一〇時間

⑬ 四月 七日(土) 一四時間  一〇時間

⑭ 四月 八日(日) 二四時間 二〇時間

⑮ 四月 九日(月) 一四時間  一〇時間

⑯ 四月 一〇日(火) 一四時間  一〇時間

⑰ 四月一一日(水) 一四時間  一〇時間

⑱ 四月一二日(木) 一四時間  一〇時間

⑲ 四月一三日(金) 一四時間  一〇時間

⑳ 四月一四日(土) 一四時間  一〇時間

四月一五日(日) 二四時間  二〇時間

四月一六日(月) 一四時間  一〇時間

四月一七日(火) 一四時間  一〇時間

四月一八日(水) 一四時間  一〇時間

四月一九日(木) 一四時間  一〇時間

四月二〇日(金) 一四時間  一〇時間

四月二一日(土) 一四時間  一〇時間

四月二二日(日) 二四時間  二〇時間

合計   四三二時間 三二〇時間

右の拘束時間については、始業時刻から終業時刻までを算定した。なお、労働時間については、前認定のAの宿直室における待機状況に照らし、少なくとも、休憩時間として午後〇時から午後一時までのうちの三〇分間、仮眠時間として午前二時から午前六時までのうちの三時間三〇分(証人藁谷によれば、Aは午前二時の巡回を早めに開始し、午前二時過ぎに宿直室に戻って来て仮眠していた。)の四時間分は、労働時間から除外されるべきであるから、これを右拘束時間数から減じて算定した。

ところで、被告らは巡回時間以外の時間帯は出入者も少なく、その大半は待機又は休息時間であると主張するが、Aは出入者の監視の際は机に向かっており、また、病院側の事務職員も同室していたことから、休息時間として仮眠したり、自由に行動していたわけではない。Aは、宿直室に存在すること自体もその職務の性質上勤務に当たることから、それなりの緊張感を持って待機すべき立場にあり、また、出入者の数も日によって異なっていて、多い日(証人藁谷によれば、一晩当たり一三名のときがあった。)のことを念頭において対処すべきであるから、精神的には休息できたものということができず、巡回以外の時間帯も、なお拘束時間と評価するのが相当である。

二  Aの死亡の業務起因性について

1  Aが脳梗塞を発症して死亡したことは当事者間に争いがない。

2  脳梗塞発症の原因について

(一) 前認定事実に甲五〇、鑑定人塩原隆造の鑑定の結果によれば、次のとおり認められる。

(1) 脳梗塞について

脳梗塞は、脳の血管に閉塞または高度の狭窄を生じて、脳の虚血ひいては脳実質の壊死を引き起こす疾患群であり、最近の分類によれば、①血栓性、②塞栓性、③血行力学性の三つに大別されている。

血栓性脳梗塞は、動脈硬化性病変に血栓形成が加わること、粥腫の破綻、アテローム内出血により血管内腔の狭小や閉塞を来すことによって生じる脳梗塞である。前駆症状として脳虚血発作を繰り返すことが多く、発症は緩徐でありかつ段階的に進行する。

塞栓性脳梗塞は、梗塞部位より心臓に近い動脈や心臓(左心房、左心室)などに形成された血栓が遊離した栓子となり、あるいは空気、脂肪、腫瘍細胞などが栓子となって、脳血管に流入して閉塞することによって生じる脳梗塞であり、突然発症することが多い。

血行力学的脳梗塞は、一般に主冠動脈に閉塞ないしは高度の狭窄を有しながらも側副血行を通じて、あるいは順行性に何とか血流を保ち、脳虚血性症状が出ていないような症例で、血圧低下あるいは心拍出量の低下等の血行力学的要因が加わり、脳の虚血性壊死を来すものである。

(2) 慢性的な疲労と脳梗塞発症との関連性について

過労は動脈硬化に対しては重要な危険因子に属するとされ、狭心症、心筋梗塞、一過性脳虚血性発作、脳梗塞などの動脈硬化を基盤としで起こる動脈硬化性疾患の発症に対しては、重要な引き金因子ということができ、過労は動脈硬化性病変に対して、急性にも慢性にも悪影響を与えうる。

これを高血圧についてみると、高血圧患者は、正常血圧者より精神的ストレス負荷に対して有意に大きい昇圧反応を起こすという報告が多く、慢性の精神的ストレスが高血圧発症に関係しているという報告は、数多く発表されており、高血圧は、高脂血症、喫煙とともに動脈硬化の三大危険因子の一つである。高血圧は、それ自体で細動脈硬化を引き起こすほか、高コレステロール血症によって引き起こされるアテローム性粥状硬化を比較的大きい動脈において促進する。

慢性の疲労が動脈硬化及び高血圧に対し悪影響を与えうるということについては、外環境においては、過重労働になりやすい代表的な作業態様として、重筋肉労働、生体の概日リズム(生体内にもともと存在し、約一日周期で繰り返される生体の変化。体温、血圧、脈拍数、睡眠覚醒などのリズムがこれに当たる。)などに著しく反する労働(長時間労働、休日なし労働、夜勤労働)、情動ストレスの強い労働(多重責任や単独責任労働、自己の意にそれない配置下での労働、単身赴任)などが挙げられ、こうした負荷が単独または複合して加わった場合、直接的に疲労蓄積やストレスとして働き、血圧上昇や動脈硬化促進要因になりうること、また、間接的に睡眠や余暇の不足、飲酒や喫煙頻度の増加や食習慣の変化、身体不調での受診機会抑制などさまざまな生活習慣の悪化を引き起こし、それらも悪化要因となって病状を進行させていき、内環境においては、大脳皮質から視床下部、自律神経系、内分泌系での過剰なストレス反応を受けて、疲労状態が進行し、血圧の上昇、心負担の増大をもたらし、さらに、こうしたストレスの反復、繰り返しが疲労蓄積や過労状態としての高血圧症や動脈硬化の進展を促し、最終局面では脳血管の破綻による出血や脳血管・冠状動脈の閉塞、心臓刺激伝導系異常による心停止など死に直面する重篤な状態に陥ることが知られている。

(二) Aが脳梗塞に罹患した原因について

Aの解剖検査は行われていないが、前認定の脳梗塞発症までのAの身体状態、発症後の推移等に照らし、意識障害発症後の臨床症状がきわめて急速なものであることから、一般に緩徐的かつ段階的に症状が進行する脳血栓とは考えにくい一方、脳梗塞を来す心臓疾患がはっきりしていなくても、動脈硬化が疑われる高齢者では常に血栓剥離による脳塞栓の危険があることに鑑みると、Aの脳梗塞罹患の原因は、脳塞栓であると認められる(Aの頭部CTにより認められる脳内の低密度域の位置から判断すると、椎骨脳底動脈系の血管閉塞による脳幹部及び後頭葉の一部に梗塞が発生したものと推認される。)。

そして、Aの脳梗塞発症に最も大きく関与した危険因子としては、高血圧、虚血性心疾患、糖尿病、喫煙のうち、高血圧が大部分を占めており(虚血性心疾患、冠不全については、それが直接脳梗塞をもたらすものではなく、全身疾患である動脈硬化が虚血性心疾患、冠不全を招き、それが脳梗塞の原因となっていることからすると、虚血性心疾患が脳梗塞罹患に寄与している割合は非常に低く、むしろ全身疾患である動脈硬化が大きく関与しているものと考えられ、糖尿病については、仮にAが入院中に耐糖能障害を生じ、糖尿病を合併していたとしても軽度であり、それが動脈硬化の進行に関与し、ひいて脳梗塞の発生に関与していたとは考えにくく、喫煙についても、Aの一日の喫煙本数に照らすと、それが脳梗塞発生に関与した割合はきわめて低いものと考えられる。)、その次に過労が大きかったものと認められる。

3 右を前提としても、Aの脳梗塞発症がAの業務の遂行のみに起因したものと認めるに足りる的確な証拠はなく、前記のとおり、Aには高血圧等の基礎疾患が存在していたのであるから、Aの業務の遂行と脳梗塞発症との間に相当因果関係(業務起因性)があるといえるためには、必ずしも業務の遂行が疾患発症の唯一の原因であることを要するものではないが、業務の遂行による過重な負荷(業務の過重性)が自然的経過を超えて右素因等を増悪させ、Aの脳梗塞発症の共働原因となったことが必要となる。

この点、被告らは、本件のような脳血管疾患の場合の業務起因性の認定は、労働省の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の業務上外認定基準」によるべきであると主張するが、右認定基準は、業務上外認定処分を所管する行政庁が処分を行う下級行政機関に対して運用基準を示した通達にすぎず、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟における相当因果関係についての裁判所の判断を拘束するものではないから、被告の右主張は採用できない。

そこで、Aの業務の過重性について検討するに、前認定のとおり、Aは、脳梗塞発症前の平成二年三月二六日から同年四月二二日までの四週間に拘束時間が四三二時間、労働時間が三二〇時間の警備業務に従事し、その間休日が全くなく(前認定のとおり、被告会社の給与は日給月給であり、被告甲野も述べるとおり、当時のAの賃金が相当安かったことからして、Aは随時休暇をとろうとしても、収入面の不安からたやすく休暇をとることはできなかったものと推認される。)、これらが労働基準法(三二条、三五条)の定める最低基準に違反していることは明らかであり(なお、被告会社において、いわゆる三六協定が締結されていたことを認めるに足りる証拠はない。)、また、仮眠用のベッドは当直勤務の事務職員待機場所と同一の部屋(約六畳の広さ)に置かれていて、安眠することが困難であったものと窺うことができるのである。さらに、弁論の全趣旨によれば、Aは、被告会社就職以来、同様な警備業務を一二年間以上にわたって遂行してきたことが認められ、また、甲二六、証人藁谷によれば、Aは本件発症の半年程度前から慢性的恒常的な過労状態にあったものと推認されるところ、甲五〇ないし五二、鑑定の結果によれば、このような勤務状況は、脳梗塞発症という観点から明らかに不利に作用していることが認められるから、Aの勤務状況には業務の過重性があるというべきである。

他方、Aは本件発症時六八歳であり、被告会社就職当時、すでに高血圧を指摘されているほか、昭和六三年四月被告会社を受診した際、冠不全とも診断され、また喫煙を一日一〇本していたことが認められるが、これら加齢及び日常生活上の負荷による自然的経過のみによって脳梗塞を発症したものと認めるに足りる的確な証拠はなく、かえって、甲五〇ないし五二、鑑定の結果によれば、本件脳梗塞発症直前に急激な労働過重がなかったとしても、Aの長年の警備業務の遂行が外見や臨床検査値以上に動脈硬化を進行させる原因となったことは十分推認されるから、Aは、高血圧が年齢とともに進行し、これに過労が加わった結果、基礎疾患等の自然的経過を超えて本件脳梗塞を発症したものと認めるのが相当である。

そうすると、本件発症は、Aの基礎疾患等と過重な業務の遂行とが共働原因となって生じたものということができるから、Aの死亡と業務との間に相当因果関係があるというべきである。

三 前記争いのない事実及び前認定の事実をもとに、被告らの責任について検討する。

1 被告会社について

被告会社は、Aとの間の雇用契約上の信義則に基づき、使用者として労働者の生命、身体、健康を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負い、その具体的内容として、労働時間、休憩時間、休日、休憩場所等について適正な労働条件を確保し、さらに、健康診断を実施したうえ、労働者の健康に配慮し、年齢、健康状態等に応じて、労働者の従事する作業内容の軽減、就業場所の変更等適切な措置をとるべき義務を負うべきところ、被告会社は、労働基準法及び就業規則に定める労働時間、休日の保障を全く行わず、恒常的な過重業務を行わせながら、Aを採用して以降、健康診断を実施せず、健康状態の把握を怠ったうえ、Aが就職当初から高血圧症の基礎疾患を有することを認識できたにもかかわらず、その後の勤務内容等について、年齢、健康状態等に応じた作業内容の軽減等適切な措置を全くとらなかった結果、前記のとおり、Aの基礎疾患と相まって、Aの脳梗塞を発症させたものであるから、右安全配慮義務に違反したものというべく、民法四一五条に基づき、Aに生じた損害を賠償すべき責任がある。また、後記認定判断のとおり、被告会社の代表取締役である被告甲野について被告会社の業務執行中の過失責任が認められることから、被告会社は民法四四条、七〇九条に基づいても、右損害を賠償すべき責任がある。

なお、被告らは、従業員に対し、行政機関の行う健康診断を受診するよう勧めていたほか、Aの勤務先は病院であるから、本人が希望すれば、いつでも健康診断等を受けることができたと主張するが、被告甲野によれば、被告会社においては、実質的に有給休暇権の保障はなかったことが認められ、また、前認定のとおりの給与水準のもとで、本来、事業主が実施すべき健康診断を従業員が自らの負担により受診しなかったからといって、その責任を従業員に転嫁することは許されないというべきである。

2 被告甲野について

被告甲野本人、前認定の事実によれば、被告会社は、Aの本件発症当時警備員約三〇名程度の規模であって、被告甲野は、被告会社の代表取締役、かつ、唯一の常勤取締役として、従業員の雇用、勤務地の指定、労働条件、休暇の付与、健康管理、その他会社業務全般を統括管理していたことが認められる。このような被告会社の規模、取締役の勤務形態等に鑑みれば、被告甲野は、その職責上、被告会社において労働基準法等に定める労働時間を守り、従業員の健康診断を実施し、従業員の健康に問題が生じれば作業内容の軽減等の措置を採ることを確保すべき義務を負っていたものというべきところ、前認定のとおり、被告会社はこれらの点をいずれも行わず安全配慮義務に違反したのであり、被告甲野は、右確保義務を怠っていたことは明らかである。そして、被告会社の責任に関する前説示も総合すれば、被告甲野の右義務懈怠もあってAの脳梗塞が発症したものと言うべきであるから、被告甲野は、民法七〇九条に基づき、Aに生じた損害を賠償すべき責任がある。

四  原告の損害額について

1  逸失利益六一五万四四二八円

Aは、本件による死亡前三か月間に五〇万五二三〇円の給与を得ていたことは当事者間に争いがなく、本件労災事故に遭わなければ、少なくとも、二〇二万〇九二〇円の年収を得られたと推認されるところ、Aの死亡時の平成二年簡易生命表による六八歳男子の平均余命は、13.99年であり、その二分の一の六年間は就労可能であったものとみられ(前認定のとおり、被告会社には七〇歳台の警備員も数名存在した。)、Aは実母ていを扶養していたから、生活費の控除を四〇パーセントとして、ライプニッツ方式により、死亡時の六年間の逸失利益の現価を算定すると、次のとおり、六一五万四四二八円となる。

505,230円÷3月×12月=2,020,920円

2,020,920円×(1−0.4)×5.0756=6,154,428円

2  慰謝料一八〇〇万〇〇〇〇円

Aの年齢、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、Aの死亡慰謝料は、一八〇〇万円と認めるのが相当である。

3  右合計額

二四一五万四四二八円

4  身体的素因減額

前認定のとおり、Aの業務と脳梗塞発症との間には相当因果関係が認められるが、他方、Aには、年齢のほか、高血圧、冠不全の基礎疾患が存在し、それらが身体的素因として、Aの脳梗塞発症の共働原因となったことは否定できない。そして、鑑定の結果によれば、Aの脳梗塞発症の原因中、高血圧が最も大きな割合を占めることが認められること、もっとも、被告会社においては、Aの入社当時から同人が高血圧であることを把握しながらその後定期健康診断を一切行わなかったため、配置転換等の措置を執らず、これが右脳梗塞発症の一因となっていること、その他本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、公平の観点から民法七二二条二項を類推適用し、Aの損害額から六〇パーセントを減額するのが相当である。

そうすると、本件において被告らが負担すべき金額は、九六六万一七七一円となる。

五  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過及び認容額、その他諸般の事情を斟酌すると、原告の本件訴訟追行に要した弁護士費用としては、一〇〇万円と認めるのが相当である。

第四  結語

以上によれば、原告の本件請求は、被告ら各自に対し一〇六六万一七七一円及びこれに対するAが死亡した日の翌日である平成二年五月一〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、被告らに対するその余の請求は、いずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官南敏文 裁判官竹内純一 裁判官河田泰常)

別紙<省略>

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